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コラム

◆一度は出かけたかった「近つ飛鳥博物館」へ 
  ~先人の偉大な知恵と暮らしの営みに脱帽する貴重な体験~


 きのう(2008年8月14日)、朝の毎日新聞を開いた。井上章一さんの「建築夢伝説」という1か月に1回の割で連載されているエッセイ風の文章を、目にする限りこれまで読んできて、ちょっぴり井上ファンになっていた。きのうのエッセイでは「近つ飛鳥博物館」が取り上げられていた。

 この博物館の設計が安藤忠雄氏であるということで、まず心が動いた。独学で建築をまなび、「安藤建築」として名を世界に知られる、まさにその人がどんな博物館を設計されたかに興味があった。
 井上は書いている。堺の大仙公園にでんと座っている大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、羽曳野の誉田陵古墳(応神天皇陵)は、かつては、ともに表面が葺石でおおわれていたという。今は小高い丘のようにも映るが、安藤はこの博物館を古墳建設当初の「人間の意思がこしらえた幾何学的な輪郭」を取り入れ、かつての「古墳像をしのべる施設」に設計したのだという。館内の見学を終えて外に出て再度眺めると、なるほど大古墳を模した設計になっていることが確認できた。地上2階、地下1階は、らせん階段でつながっており、展示物を観ているうちに自然に地下に下りて行っている格好になっていたのだ。説明板を極力少なくし、ビデオ映像やアナウンス、ランプ点灯による表示などの方法で理解を助ける風になっていた。

 南河内というのは日ごろからなかなか縁のない場所ということで、これまでに最寄り駅である「喜志」駅には降り立ったことはない、そう思っていた。近鉄南大阪線に乗り、河内松原、藤井寺を経て喜志の駅に着いた。駅員にたしかめバスのロータリーに出た処に、「大阪芸大」のスクールバスが着いた。それで、3年前だったか「日本笑い学会」の大会が芸大で行われた時ここへやってきたことを思い出した。やがて金剛バスの「阪南ネオポリス」行きがきた。窓からは稲の色づき始めた田んぼがいくつか見てとれた。多くがまだ収穫までに時間がかかりそうな稲穂であった。太子町から石川を渡り、河南町に入る。右手は「千早赤阪」という表示が見えた。この地名を見るだけで、一気に歴史を遡れるような気がした。一須賀という地名のところを通過するとき、だんじり祭りの提灯と旗が並べられていた。「そういえば、今日は岸和田のダンジリの日だ」と、思い出した。この一須賀でもだんじりが引かれたのだろうか。あのケガ人や時に死者を出すだんじりはその土地に根を張り、脈々と今日に伝えられ、若者だけでなく村挙げての一大行事なっているのだろう。私の担当する学生の中には、毎年「だんじりをかつぎます」という人がいた。なかには女子学生もいた。一須賀を過ぎ、芸大の建物の先端を見ながら、まもなくバスは終点に着いた。目の前が「近つ飛鳥風土記の丘」の入り口だった。

 目の前にコンクリート打ちの建物があった。まさかこの小さな建物が博物館ではないだろう。入場のときもらった案内書には、この風土記の丘のことを、「一須賀古墳群を保存し、親しむ場として、大阪府が設置した史跡公園です。29万m2の公園内には、102基の古墳があり、そのうち40基が見学でき」るという。入口近くにも「横穴式古墳」が見られた。この史跡を公園を踏破するには、それなりの時間と覚悟がないと無理だと思えた。そこから博物館までの道は二手に分かれ、ゆるやかな道は300m、急坂の道は150mと表示されていた。もちろん急坂の方を歩いた。道々「マムシ注意」「もし出たらあわてず、静かに退却すること」と注意書きがしてある。奄美や沖縄に出かけることなんどもあるが、これまでハブに出くわしたことがない。人さまが脅さなければ、食べ物さえ森にあれば、動物たちは無暗と人を襲わないのだ。クマとて同じことだ。すべての原因は人間が作り出している。そんなことを思いながら歩いている目の前は「杉林」ばかり。これには参った。日本の植林計画は、スギやヒノキという成長が早く「材木」にできるものばかりを植林してきた。災難は動物たちだ。

 やがて眼の前に安藤建築である「博物館」が現れた。ちっちゃな道が階段状になっている。それを下りると、館の入り口だった。65歳以上は300円とある(一般入場者は400円)。荷物をあずけ、身軽になって館内に。4cから7cあたりまでの各地の古墳の出土品が多く展示されていた。古墳時代初期の紫金山古墳の豊かな出土品に驚かされた。なんと茨木市に出土したとある。とすれば、卒業生のM君はこの発掘調査にかかわったのではないか。出土した各世紀の瓦文様が一覧されていた。素人の私には、どれが古くて新しいか見分けることなどできない。が、壮観であった。古代文字の一覧も興味引かれた。木に紙に、そこにはたしかに今も使っている文字が認められている。墨字がはっきり読み取れるものが多かった。「いろは」を発明した祖先の英知にあらためて思いをはせた。周辺に並べられて展示されている埴輪も、これまでの人体模型のようなものだけでなく、円筒のような1mを超える大きなものまであった。三角縁神獣鏡が古代朝鮮や中国との交易のなかで多くヤマトにもたらされ、またヤマト独自のものも加わってきたという。そういえば、若くして亡くなった友人のF君は、この「三角縁神獣鏡」にかかわる論考を本にしたのだった。

 展示品で私を引き付けた最大のものは、「修羅」とよばれる大木のようなものだった。14年かけて補修し当時の姿を修復し、当館に運び込まれたという「修羅」。国指定の重要文化財に指定されたというのもうなづかれる。小型のレプリカもあったが、なんとしてもガラスケースに収められた本式の「修羅」の大きさ、はめ込み式になっている工法、その用途に仰天した。説明を聞いて、古墳時代の先人たちの知恵に驚かされた。「長さ8.8m、重さ約3.2tの木製橇(そり)」だという。これであの大きな石棺、竪穴式の古墳の蓋をした大きな石を運んだのだ。古代人が大海原を行きかった船もよく展示されているが、この「修羅」というものを見たのは初めてだ。藤井寺市三ツ塚古墳出土だそうだ。これだけのものが出土し、完全に復元されたものは世界でもめずらしいのではないか。これで、後世の城郭建築が可能になった秘密が解けたように思った。古代の人たちがこの「修羅」に巨大な石をのせ、そろりそろりと多くの人手を要して移動させる姿が彷彿とさせられた。展示を観終わった最後の場所、地下1階に鹿谷寺(ろくたんじ)石塔(高さ約8m)復元模型がそびえたっていたが、この原型に使われた石も「修羅」によって運ばれた石で造られたものだろう。

 館内見学中に親子連れの姿をちらほら見た。子どもたちは館側がつくった「キッヅワークシート」や展示見学キットで座り込み、夢中で粘土をこねて、古代人の追体験をしていた。「早くしなさい」とせかすのでなく、見守る母親の姿が印象的だった。玄関にもどり、ワークシートの何枚かをいただいた。「ちかつこどもワークシート」として《おさかなみーつけた》(風土記の丘の昆虫や動物たちを見つける旅をする)《展示見学キットであそぼう》(ミニジグゾーパズル、ハニワあわせ、土器・石棺パズル、修羅ひきの実験等々)《指令書?5つの「指令」をもとに「予想」をたて「報告」を完成させ、最終報告書を記入する》といったものだった。小学生から中学生まで、ここで1日中自然とふれあい、展示物を眺め、推理し、考え、作り、まとめるといった工程が用意されている。すばらしい。他にも「近つ飛鳥、用語集100」というミニパンフレットも無料でもらえた。

 知事となった橋下氏は、「赤字削減」を至上命令として馬車馬のように、それもパーフォーマンスを意識的にやりながら、長年にわたる「歴史・文化」をなで斬りするように廃止・統合を指示してきた。国際児童文学館を府立図書館に統合、和泉にある弥生博物館を近つ飛鳥博物館に統合など、数字のことしか頭にない無謀ともいえる現代の「焚書坑儒」策を実施しようとしている。長い長い時間をかけて蓄積されたものを、知事になったとたんに「歴史破壊」ともいうべき暴挙に出たとしか思えないやりかたはとうてい容認できない。近つ飛鳥博物館に実際足を運び、いっそうその思いを強くした。同じく教育を「点数」でのみ測ろうとする・教育現場無視のやり方も。 

お世話になった「コリアボランティア協会」
国立療養所栗生楽泉園 藤田三四郎 様
一度は出かけたかった「近つ飛鳥博物館」へ~先人の偉大な知恵と暮らしの営みに脱帽する貴重な体験~
徳之島は別天地だった
身体の記憶をたどる旅
「教師駆け込み寺・大阪」趣意書より


 

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