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プロフィール

下橋 邦彦/プロフィール



1939年神戸市長田区に生まれる。
神戸大学文学部国文学科卒業。
いくつかの高校の国語科教員として37年間勤務し、定年を迎えた。
この間「若者の自己表現」の道を探究。
また、長年教育解放研究会の中心メンバーとして「学校分析」の共同研究に携わり、その成果を世に問うた。
現在は、教職をめざす後進の指導に力を注いでいる。
勤務校は関西大学、プール学院大学、京都精華大学(非常勤)で、主に教職科目5種類を担当。
他に「文章表現演習」で若者の表現力アップに努めている

――「私の歩んできた道」―― そこで出会った人・こと・もの

1、教員になった頃 (1963~1969) ‐20代のかけだし
・戦後第1次ベビーブーム(団塊の世代)の高校生と対面―私立女子高大規模校担任
・自分のクラスの生徒が退学になっても「物言えぬ」教師たち
  ‐組合結成をひそかに呼びかけ、それをきっかけに声を上げだした教師達
・敏感に「変化」を感じとった生徒達―「泥かぶら」公演(新制作座・真山美保)で生徒会が蘇る
・たった1年で公立高校へー伝統校ではじめて3年生を卒業まで担任(直訴して「伝統」を破る)
・「就職」の道を閉ざされた二人の女子生徒になす術なし(50代の彼女らと今もつながっているが)

2、「部落」との出逢い、就職差別の取り組みへ (1969~1975)
・ある高校解放奨学生との偶然の出会いー初めて部落に出かけ親から話をきく
・大阪の部落解放運動の高揚、「矢田教育差別事件」との遭遇、解放教育をみずからの課題に
・さまざまな困難を抱える人たちの「進路」の問題に直面する
  ‐他府県(福岡・大分・広島など)からの問いかけになんら答えられない衝撃
  ‐就職差別反対の具体的とりくみへ→「近畿統一用紙」実現へーそのための具体的事実の把握
  ‐「施設」から通ってくる生徒の就職をどうするか(「保証人」の問題など)
  ‐在日朝鮮人生徒・部落出身生徒一人一人と出会っていく(その過程で家庭訪問を自分の課題に)
  ‐解放運動の進路保障のとりくみと協働、また朝鮮奨学会とのつながりできる
  ‐高校教員の横断的つながりを求めて
    北摂解放教育研究会を結成→全大阪高校解放教育推進会議を軸に進路保障にとりくむ

3、地元高校建設運動でできた柴島高校に赴任 (1975~1980)
 

・高校急増期、学級定員増のしわよせー新設高校づくりへの意気込みと「荒れ」
・切実な「差別教育反対」要求と建前としての解放教育の落差
・荒れまくる生徒に追われる日々、目の行きとどかぬ生徒の行き場のない反抗
・生徒自治会、解放研、朝文研、奨学生を軸にした1期生の「私たちの学校をつくろう」という自覚
・教育理念方法をめぐり教師間の対立、解放教育推進側の教員の少数化、解放同盟との路線対立
・「しんどい生徒」を中心にしたクラスづくりへ!‐各自のしんどいところを出していこう!
  ‐2期生・3期生との忘れられぬ出来事→卒業文集『心像』に結実(シモの宝)
・「自分のおいたちを書こう」‐若者の〈自己表現〉の道の模索始まる


4、「障害者」そして「共に歩む人たち」との出会い (1980~1999)
・青い芝の会のMKさんと出会う(のち、障害者のみの劇団「態変」を結成、障害者の身体を隠さず舞台に表現していく演劇活動を展開される)
・「障害者の生活と教育を保障しよう会」の活動、父母を軸に活動各地に起こる
  ‐柴島高校準高生受け入れ(地元中島中学・淡路中学との交流)
・親と子の格闘、「卒業」後に受け入れる場をつくる運動、卒業生とその親子の愛情葛藤に触れる
  ‐Sさん親子の苦闘(作業所づくり)、Aさん親子の子育ての思いに触れる
  ‐全盲生徒YM(後のYA)さんとのかかわり、聴覚のない生徒Tくんとの出会い
  ‐車椅子で通学してくる生徒さんとの出会い(Dさんとその姉、Sさん)
   桃谷高校「友情の会」をひきつぐ
   (先輩達の学校エレベーター建設運動、ノンステップバス運行への長年の働きかけによる実現その他)
  ‐MKさん(自立支援センターピアカンセラー)を知る、子育て中のYMさんと再会、
   たかつき自立センターのSさんに引き合わせてもらう(以後お二人にゲストとして来ていただく)
  ‐Dさんと桃谷高校でのスクーリングやレポートなどを通し4年間共に歩む、
  Dさんの初著書『車椅子のジョージ』(リトル・ガリヴァー社)出版記念会に出席しお祝いの言葉をのべる

5、元ハンセン病患者の方たちとの「交流」
・卒業生Pさんから『トラジの詩(うた)』(皓星社)をいただく。そのPさんに連れられ群馬県栗生楽泉園の金夏日氏の〈群馬県文学賞受賞〉(『点字と共に』で)お祝いの会に出かけるハロハロ通信
‐そこで出会い強い印象を受けた人たちとの交流始まる/元ハンセン病の方々の文芸に触れる
・香山末子(キムマルチャ)さんの部屋を訪ねるー「手を握ってあげてください」(一瞬のためらい)
・雪深い浅間山の麓にある栗生楽泉園を再び訪ねるー金夏日・藤田三四郎・谺雄二氏らに再会
・文通などでの交流つづく(谺雄二さんから自著及び他の方の文芸書を多数いただく)
・藤田三四郎さんから著書刊行ごとに贈呈される、06年末の今もつづく
・金夏日さんの韓国の郷里に父のお骨を持ち帰りたいとの願い
 [いつの日か祖国に帰りわが母のみ墓に父の遺骨を納めん]をかなえようと同行されたキリスト者で医師のFさんを甲府に訪ねる
・上記金夏日氏の受賞祝の席で同席した東京の詩人石川逸子さん
 (『ヒロシマナガサキを考える』を単独で87号まで発行)との交流つづく
 (のち、シモの著書『ハロハロ通信―三世代が集う学校から』東方出版、の出版記念会のためにお祝いの詩を贈ってくださる)
*この出版記念会には、桃谷高校の卒業生をはじめ230人もの方々が駆けつけてくださった

6、阪神大震災発生 (1995年1月17日、午前5時46分)
・突然の激しい揺れ(大阪のシモの住まいは震度4だったが)、自動的に休校
・古里が壊れた!!週1で神戸の街へ、涙の中を知人友人を尋ね無事を確認して回る
・大阪にいる私たちができることは何か?‐「国語」の授業でとりくもう!
  文集『「阪神大震災」を心に刻みつける』に生徒のとりくみを集約し発行―各紙に取り上げられ、各方面から寄贈の依頼が来る
・有志生徒と現地を訪ねるー友人SMさんの案内で神戸市須磨区のテント村へ(そのリーダー役のKT氏に出会う)
・「そして神戸」(被災者による被災者の職斡旋その他の自主運動)のYU氏を訪ね、その後今に至るも交流を続ける、
 その縁で神戸と交流支援の愛知県桜ヶ丘高校の生徒さんと出会う

7、共同研究・自己表現の道の探求
・北摂解放研を教育解放研究会に展開し、「学校分析」の共同研究始める
   →足掛け6年かけて『学校のことば・教師のことば』(東方出版)に結実させる、出版記念会開く
   →4年かけて第二の共同研究『学校のモノ語り』(東方出版)を上梓
   これをもって長年続けた代表の座を若手に移す
・東豊中高校・高槻北高校での「表現」のとりくみから出てきた生徒作品を編集し出版
  →『高校生は表現する』(東方出版)、体験文・エッセイ・聞き書き・ルポルタージュ43編(この発行を機縁にラジオ大阪「桂九雀のワイワイじゃあーなる」に呼んでもらい生出演する)
・両高校での実践を通して書いた雑誌原稿を元にして初めての単著『挑発する教育/格闘する若者』
    (勉誠出版)を出す→この前後から京都の国語教育の「土曜日の会」に参加、今日に至る土曜日の会
・桃谷高校(府下唯一の公立通信制高校)に移り、「人生」を教えてくれた生徒さんに多数出会う
  →毎回生徒さんの生い立ち・生活が見えてくるレポートを通し、「桃谷は宝の山だ!」を実感、
    その姿を盛り込んだエッセイ風実践録を雑誌に連載、
    それを元にして第二の単著『ハロハロ通信』(前掲)を出版(東方出版)→桂九雀さんのラジオ生番組に2回目呼ばれる
    (ルポライター鎌田 慧氏にお願いし帯原稿をいただく、『高校生は表現する』の時にも有難い「前文」を書いていただいた、また作家藤本義一氏より個々の生徒作品について懇切な批評をいただく)


8、「死と生の教育」に出会う
・〈死の準備教育〉を日本で30年にわたり続けてこられたアルフォンス・デーケンさんの著書に触れる、そこからフリージャーナリスト千葉敦子さんの講演録、本を読み、強い衝撃を受ける
・日野原重明さんの著書・テレビ出演などに触れ、裨益され手紙を出し丁重な返事を頂く
・管理栄養士の幕内秀夫さんの本から《食育》の大事さをまなぶ、
 きのみむすび保育園のSさんの食育を中心とした保育の実際を見学交流で感じる。
 以後意識的に「食育」に関する本をあつめ、勉強する→05年秋福井県小浜市
 (食育文化都市宣言の街)に出かける。06年秋再訪。
・兵庫・生と死を考える会の実践報告の場を知り、出かける→東大阪の中学教員HY氏に出会う
 (以後、交流を続ける中、実践記録を送ってくださる。06年関大の人権授業をお願いする)
・小・中・高校・大学の「生と死の授業」の記録、本を意識的に集め、読み、勉強する
  柳田邦男氏の『犠牲 サクリファイス』『『犠牲』への手紙』、医師鎌田 實氏の語り、本に触発される、小学校教員金森俊朗氏の実践(映像、著書)に教えられ、教職の授業で取り上げる
・こうした出会いや勉強のお蔭で、長兄の死(02年12月)も前向きにとらえることができた
 →『追悼遺稿集』を編集発行する、
 その作業の過程で青森県八戸市の自立ボランティア団体「コミュニティボード」のみなさんとの交流が実現する
  (04年9月八戸を訪問)、兄の3回忌にちなみ青森から代表3名が来神、
  墓前にまで足を運んでいただく(読売新聞に詳細記事載る)

9、一世代めぐって解放運動その他のあらたな展開を知る旅を始める
・新聞の催しの案内で《シリーズー部落問題は今》の企画を知り、浅香支部に出かける
 →コーディネーター役のNKに会う、またパネルディスカッションのメンバーであった学生さんにも会い、
  再度会うことを約束する(YKさんとの出会い)
・大学で「人権教育論」を担当することになり、卒業生の仲介で部落解放同盟浪速支部を訪ね、教えを乞う→AA・MW両氏に会う、そこでMW氏から「浪速支部と皮革の歴史」のお話を講義として聴く
 (以後、上記授業のゲストとして来ていただく、05年からKY氏と交替)
・リバティー大阪(人権博物館)の職員である卒業生に会いに出かける→見学、以後毎年関大学生の全員の見学を実施(リニューアルなった展示に関するワークシートを作成)
・梅田で開かれている「読み書き茶屋」の中心の一人で、中学校退職後識字のとりくみをしておられるKT氏に連絡をとり、80歳を超えている在日のナルモニIKさんを紹介していただき、お二人に授業ゲストとして来ていただく(まさに「一期一会」のお話が聴ける)
・大阪府人権協会の方そして「識字」運動の大阪の拠点で仕事をしておられるSK氏に会う
  →やはり「識字」に学ばれた方と一緒に授業のゲストとして来ていただく
・新聞の記事で、大正区のエイサーを中心に担っているKK・IK両氏を知り、会いに出かける。
 また、京都東九条で街づくりに長年取り組んでおられるYUさんを知り、会いに出かける。
 この三者ともにフィールドワークの案内をお願いし、引き受けてくださることになる。
 あわせ「東九条マダン」の主宰SP氏を紹介され毎年マダンの場に参加。06年も学生自らフィールドワーク
・阪神大震災の支援を今も続けている「コリアボランティア協会」の新たな事務所探しのお手伝いを少しする
 →BT氏に出会う、以後ずっとフィールドワークの案内を引き受けてくださる(なんと講師案内役5人も!)、新たに協会の専従になったYKさんにもお世話になる
・関西大学人権室の研究合宿に参加する中で、JM氏に出会う、
 何度かお話をする中で04年度から授業のゲストに来ていただくようになる(「ジェンダーの視点から人権を考える」)

10、「教師駆け込み寺・大阪」を発足させる
手を広げる下橋先生・「教師受難」の時勢、ゆきづまり・追いつめられている教師が訪れる場をつくりたいと考えるようになる
 →京都市の公的な場で相談に乗っておられるKM先生を訪ねる
・卒業生の縁でそのための場所探しをしている中で、KK氏に出会いお話をし、場所提供をしていただけることになる。数回の準備会を経て、2004年7月から例会を開く
 →以後、月1回のペースで例会・個人相談の場を続けてきた
  (大阪だけでなく、和歌山・兵庫・奈良などからも来られる)
・05年9月から場所を別のところに移し今日に至る(とぎれずに相談者の方見える)
・「先生の人間力をたかめる道場」づくりを新年の新たな課題として掲げ、06.8に初の「講座」
・「読売ライフ」や各新聞(毎日、朝日、読売、神戸その他)にて紹介される

11、学校訪問をみずからの課題とする
・教育実習生の実習校を訪問するー授業だけでなく生徒さんとの触れあい方なども見せてもらい、また学校の空間・時間、職員室の雰囲気なども感じさせてもらう
・教育実習が始まる直前の「授業見学」をお願いする→関西大学付属第一中学校・高校、ついで島本町立第一中学校、知り合った教員の授業その他の場面を見せていただく行脚を続ける
・先端のとりくみをしている学校を訪問する→京都市立御所南小学校、吹田市立竹見台中学校・千里たけみ小学校その他。
 06年給食を中心とする食育の現場(京都市立高野小)を訪問
・現職の先生方の研修会に出かけ、お話させてもらう→そこから生まれる交流

12、卒業生やその親が私を「教師」に育ててくれた!
記念集会―卒業生のKIらが主宰する「地酒の会」で多くの出会いをさせてもらう(長く続く)
―童謡の作詞家や童話作家であるもり・けんの沖縄へのハーモニカ演奏旅行に同行する
―医師で「日本笑い学会」副会長の昇幹夫氏に出会う、以後ずっと教えを乞う
 →シモも「日本笑い学会」に所属する→その縁で読売ファミリー「笑って元気!講座」や
   寝屋川市から講演の依頼くる
―出版記念会の後も年に1回「ハロハロの会」を卒業生有志が催してくれる
―その他にも海外に移住し自分の道を歩んでいる卒業生からも力をもらっている
  (カンボジア・アメリカその他)
                          (以上改訂版作成 06・12 下橋 邦彦)


「私の歩んできた道」(増補分)2012.3
【関西大学/1998年~2010年】
*府立桃谷(通信制)高校と並行して関大の非常勤となる
 ・教職科目最後の「教育実習」(主としてⅡ部の学生を担当する)
*府立高校を退職し、大学の授業に専念する
 ・半年だけ摂南大学で「生徒指導論」担当
*高槻学舎にも授業で通う/「人権教育論」を担当する
 ・フィールドワーク先の案内役を開拓し、4か所で実施できるようになる
*実習の学生を追いかけて実習校まわりを始める
 ・延べにして100校以上まわる
*12年間の勤務を経て定年で退職する
 ・『今時の学生と教職科目で出会って~12年間の格闘から見えてきたもの~』刊行
  (各新聞紙で紹介)

【プール学院大学/2002年~2008年】
*非常勤講師として採用される(関大と並行して)
 ・2004年度『カキナーレ』(深谷純一、下橋邦彦共編)2005年度も発行
*「教職入門」「教育指導」担当
*「文章表現演習」担当
 ・2005年度『インタビュー集「大人に仕事と人生の話を聴く」』(上記共編)
 ・2006・7年度『インタビュー集』、『カキナーレ集』(下橋編)発行


【京都精華大学/2002年~2011年】
*非常勤講師に採用される(関大と並行して)
*「教科外教育論」を担当
 ・課外授業の様子を『月間国語教育』で紹介(摂南大学・関西大学も)
*「教職総合演習」を担当
 ・中学・高校の「総合学習」の様子をゲスト教師を招いて聴く

【堺歯科衛生士専門学校/2008年~2010年】
*基礎教養科目「文章表現法演習」を担当
 ・2008年度『衛生士の卵たちの作品集』
   -8回の授業を振り返る
   -体験したことを短文にまとめる他
(毎日新聞などで紹介される)
 ・2009年度2010年度も続けて発行する

【教師駆け込み寺・大阪/2004年~今日に至る】
 ・月1回の「例会」他電話相談で現職の先生方の相談に乗る
 ・年2回「若い先生のための教師塾」開く(2月・8月)
 ・年2回「教育・教師を語る会」オープンな場として開く(6月・11月)

【広域通信制つくば開成京都校・大阪校/2009年~今日に至る】


 

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