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コラム コロナ禍に想う
◆「引っ越し騒動記」~終わってみたら…
声をきけば「50代かそれとも60代はじめ」と多くの人が電話回でいう。初めてお会いする方の多くは60代、それとも70代にかかる頃ですかと、不思議そうに言う。「まあ、そんなところでしょうか」と答える。若く見られたからといってどういうこともない。年輪を重ねてきた割には成熟していないという意味合いも含まれているかもしれない。自分くらいの歳になると、若くあることは、必ずしも褒められたことではないのだと思わなくてはいけない。
引っ越しをする、引っ越ししたというと、多くの人が「そら、無茶やで」という。なかには身体のことを心配してくれ、「知り合いで引っ越ししてケガをした、病気になったという人がいる。下橋さんも注意してください」と、やんわり忠告してくれる後輩もいる。ありがたいことだ。
不動産屋にきくと、「貸主が年齢をきくと、貸すのに躊躇します」という家主が多いとか。70代、80代になると相当個人差があるが、それでも「入居したいという人は80歳なんです」「しかもつれあいを亡くして一人住まいをしている人です」というと、よけい引いてしまうのだろう。本人を見ていないから、無理もない。こう誘導して、不動産屋は「自社物件ならなんとか…」と、おもむろに持ち出してくる。一も二もなくOKするものと踏んでいる。しやくだが、その言に乗ることにした。
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引っ越すといっても、引っ越し先をどこにするか、しかも「人生最後の」ときけば、どこに越すのか、ある程度関心をもつだろう。とくに、ずいぶん以前から「奄美の徳之島」に下橋がそうとう入れ込んでいることを知っている人が多い。まして徳之島に持ち家があることを知っているひとは、てっきり〈徳之島永住〉を腹決めしたかと、早とちりするかもしれない。卒業生のなかには、「せんせい、仮に徳之島に移住されるにしても、もっと先にしてください」と、ずいぶん前に手紙に書いてきたひともいる。実際「引っ越し」ということが念頭に浮かんだとき、徳之島移住が念頭になかったわけではない。親戚で私よリー世代上の方々は、おおむね亡くなっている。私より10歳から15歳くらい若い人は、おおむね元気である。が、今や奄美では60代で亡くなる人(男性が主だが)が結構いる。酒の飲みすぎと歩かなくなること、これが二大原因だろう。私とて例外ではないはずだ。
思案投げ首でいくら考えても、そう簡単に結論がでない。ここ数年は「変則的な《二か所生活》です」と、島の方に会うたびに言ってきた。そのとき念頭にあるのは、哲学者の内山節。ほかで言えば、若い人で都会暮らしと出生地をまたいで仕事をしている人たち。とくに内山の場合、 群馬県上野村と東京を行き来している。内山は上野村で「渓流釣り」をしながら、村のひとの暮らしに接し、暮らしぶりを観察し、そこから独自の「労働論」を組み立てていった。東京暮らしだけではとうていわからない「生きたひと」の暮らしぶりと話から多くのものを学び取り、それを思索の肥やしにして哲学的考察の文章をかき、本にしてきた。自分より年若い内山の生き方には、大いに関心を寄せてきたのだ。
だが、現実に徳之島移住を選択しようとすると、先にも書いたように「健康」のことが念頭をよぎる。80代の坂をのぼるに、歩かない暮らしでは不安がある。それに、やはり文化にふれる機会が少なくなる。映画館一つない。音楽会など年に1~2度あればいいほうだ。いきおい島の大人の男性がそうであるように、体肝日のない「連日の飲み方」とあいなる。アルコールの嫌いでない自分は、誘われたらホイホイと出かけるか、ひとを家に呼ぶだろう。それよりは、年に数回の割で島にやってきて、島人(シマンチュ)と交流するやりかたを選択したほうが賢明だろう。島人でない「半島人」という立場でまじわればいいではないか。島の家に運んだ本や資料は、島の方々に提供すれば有効活用できる。たまに「飲み方」の場に出かける。親戚であれ、そうでない方とも滞在中に交流する機会があれば…。島行きの機会をふやせば(と簡単には言えないのは、日本航空の独占路線で航空運賃がかなり高いのだ)、それを実行すれば、もっと交流の機会もふえるし、今以上に多くの方との接点をおおくし、滞在中に伊仙町「民俗資料館」。天城町「ユイの館」)などの学芸員や三つの町の図書館の司書ともより親交を深めることができる。学校の先生方とももっと接点をもち、授業をみせてもらったりすれば町の子どもらの様子もわかってくる。
ぎっとこのようなことから「変則二か所生活」を続行することにし、引っ越し先を決めた。
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ここからが大変だった。大変なんていうもんじゃない。さすが80歳の身にはこたえる。が、引っ越すと決めたら実行あるのみ。いったん決めたことはやり通す、これが自分の信条だ。
一昨年の「大阪北部地震」で本箱の上に置いていた「資料」「学生の書いたもの」は、なだれをうって落ちてきた。本箱の本も散乱した。二つのスチールの本箱は横倒しになった。それらを、人の手を借りながら整理し、島に送るもの、置いておくものと分類し、ここでも人の助けをかりながら、なんとかひと段落つけた。
それなら20年住み慣れたところに居続けたらいいんではないの7と、人は思うにちがいない。そうすれば「引っ越し貧乏」にならなくていい。余分な労力も使うこともない。何が悲しくて引っ越す必要があるねん、とだれしも思うに違いない。その通りなのだ。が、引っ越しにはデメリットばかりではない、メリットもあるはず。デメリットはすでにいくつか挙げてきた。では、メリットってあるの?デメリットなら、引っ越し騒ぎで肝心なものが見当たらないということが最大の問題だ。が、逆に思いがけない「発見」にも遭遇する。
いうなれば、「仕事」をしてきて半世紀余り、その間に積み上げてきた数々の「書き物」「やりとりした手紙」「購入した文化遺産」は、自分の人生の《生きた証》でないものはない。
下橋が生きてきた「あかし(証)」が段ボールや袋につめたなかにワンさとある。それを一つ一つ取り出していくには、かなりの時間を要する。が、苦にせず、「楽しんでやる」ようにすればいいではないか。
しかし、そういった心境になるには、まずは決めた以上、引っ越し準備をしなくては。が、言うまでもなく自分一人の手には負えないことは明らか。ここで、引っ越し作業の奥の手がでてくる。
そう、若くて力のある人を呼ぼう、それなしに引っ越しの準備はできない。そう決めると、もう手は電話機に向かっていた。A君、S君、Yさん…と名前が浮かぶ。いずれも最後の大学の卒業生だ。が、すでに社会人になっている人にお願いするのだ。丁重にも丁重に・・・。結果的にこの3人に、日を分けてきてもらうことになった。もちろん、引っ越し業者に来てもらう、そのまえに「出るは出るは」のゴミを引き取ってもらう業者にもお願いする。引っ越し専門の業者にも相見積もりをお願いして三社にきてもらう。電気関係に無知なので、取引して長い電気屋にきてもらい、接続はすべてお願いする。それ以外の手続きはすべて自分でやる…。
先に北部地震でスチールの本箱が横倒しになったと書いた。その折には、まだ仕事を始めていなかった高校の卒業生が駆けつけてくれた。そうして、埃まみれになりながら、本や雑誌や書類の整理にあたってくれたのだ。
「すまないね~、何回も足を運んで、しかも埃まみれになって…」「いえ、このようにお手伝いできるのが、嬉しいんです」と、彼女は言葉少なに応じた。涙がでそうになる。その後、カラになった本箱を「解体しましょう、このままでは危ないですから」と、ご夫婦で助っ人にきてくださった方が瞬く間に解体作業をしてくださってロ―プで結わえて、大型ごみに出す手はずまで整えてくださったのだ。その前地震当日、「布団引く場所を確保しないと」と駆けつけてくれた近所の方。数ある中冒子とビデオテープなどの整理も…。
こんな経緯があって、今回若い卒業生にお出まし願ったのだ。おそらくいちばん大変だったのが、S君だ。仕事机の下にためにためた「書類」を、全部とりだし、不要なものは袋につめていく、言葉でいえば簡単だが、埃まみれになってS君は、やり遂げていった。その際、袋詰めしたゴミ袋を玄関出たところに運ばなくてはならない。それには運ぶ「動線」確保が第一だと、S君は何度か力説した。が、自分は動線を妨げている!と、叱られた。三度目、引っ越した後の作業でS君にふたたび来てもらった。今度は、なんでこんなものを「後生大事にしまってたんですか!?」と叱られた。叱られても仕方がないくらい不要物が、運んだ荷物のなかにあるのだ。考えてみるまでもなく、90歳まで生存するとして、あと10年の間に「これ読みますか?」「これ使いますか?」と言われたら、愚の音もでない。えい!そこは君の判断にまかす、などと無責任極まりない。だれの引っ越しやとおもてんねん!なかでも、ティッシュペーパーが大量に出てきた。街頭で受け取っては、溜まっていたんです、スミマセンと、先に謝ったほうが得策と心得る。すると、どうだろう!彼はそれを一つ一つ丁寧に箱に並べている。2段にきれいに並べている!ワシには全くできない芸当だ、ここは静かにして事態が収まるのを待つしかない、その間自分でできることをしようと腹決めし、すたこらサッサと自分の持ち場に専念することにした。
とはいえ、引っ越し直後なので段ボール箱は部屋ごとに林立している。それをこれからどのように崩していくか、前途多難といえば、このことではないか!しかし、彼のやっていることは任せると決めたのだから、まあ明日からの暮らしに当面必要なものを表に出していくしかない。
その「当面必要なもの=食器類」を、Yさんが新聞紙に包んで割れないようにしてくれる。A君はダンボール箱に本を詰め込み、引っ越したあとは、それを本箱にもどす作業に専念してもらう。
三人三様に作業してもらい、なにもできない自分は、帰りに持ち帰ってもらう「みやげ」を用意したり、夕食を提供したり、できることは、そういつた気遣いをすることくらいだ。
いや、忘れてならないのは、ヨガの指導者(インストラクター)兼整体師でもあるGさんに、拙宅となった部屋に足を運んでもらい、手伝っていただく。そのうえ、しばらくは「カーテン」なしにすごしていたので、これではいけないと、ネットで調べていただき「モスグリーン」の明るい色のものを注文してもらう。(あとでわかったが、なんと定価の半値で購入してもらえたのだ!おまけに、カーテンが届くや、その取り付けもGさんは一手に引き受けてくれた。)三つある部屋は、一気に明るくなった。
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ついつい早とちりして、先を急いでしまった。業者にまかせたことはどうなったか。そこを書き留めておかなくては。まずは引っ越し業者に見積もりをお願いした。三社のうち、まあ中くらいの業者にまずは見積もってもらった。次に大手の「0123アート…」の営業の人が来た。入社してまだ1年足らずの新任らしい女性がきた。一つひとつ頂日をチェックしていくσ「で、いくらぐらい?ていねいに見てもらってたけれど」と、聞くと、な、なんと「36万円也」だと。その値段のあと、若い社員である彼女は、ステンレス製の魔法瓶や器を惜しげもなく私に手渡した。(これ受け取ったら、断りにくいんちゃう?)その心理を読んでいるのだろう。
しかし、もし断ったら、「そんな先につぎつぎ渡したらあかんやんか」と、社に戻って叱れないのかな?と、こっちの方が心配する。三番目にきた業者は、受注日本一連続○〇年とテレビでよく宣伝している「パンダのマ―ク」で知られている業者。やってきたのは、かなり「手慣れた」感じの男性社員で、「0123・・・」の女性とは大違い。そつなくチェックしていき、「きょうここで契約していただいたら○○万円にしておきます」という。見積もりを始める前に、コメ所のコメ100グラム入った袋をとりだし、手渡す。(う―ん、なるほど、依頼者相手にこういう仕方で歓心を買うのか)、しかも、見積もり値段が先の大手の業者の半分以下。社長が女性で、男では気づきにくい細やかな仕事ぶりで業績を一気にあげたことで知られているのだ。
(うん、ここに決まりだね)こちらの心の動きを読んだのか、即決しようと、安い値段にしたのか、いちばん始めに来た業者の社員のことが少しよぎったが、(エイッ、ここに決めようか)手慣れたやり方に惚れたのか、一も二もなく頼んだのだった。一件落着。
そうと決まれば、あとは日程をきめ、それに先立つ作業をこちらとしては済ましてしまうばかりだ。廃棄業者にこれとあれとを持ち帰ってもらうと決め、引っ越し日に備えることになった。Gさんに教えてもらった中古販売業者のところに、無量塾が始まる前に下見し、冷蔵庫はこれと決めた。本箱には適当なものがなく、3つ連なった大きい本箱を決めかけたが、弓|っ越し先の図面にこれまである本箱を書き込んでいくと、とうていその大きさの本箱は置けないという結論となり、購入しないことにした。その代わり、引っ越しが終わってできるだけ早めに「古本業者」に来てもらい、安く買いたたかれること覚悟で持ち帰ってもらい、本の数を減らすことにしよう、そう腹決めして、冷蔵庫だけを予約した。
パソコン関係の接続、廃棄した「冷蔵庫」「洗濯機」「電子レンジ」の購入を、20年まえの引っ越し以来、ずっと利用してきたM電気屋に頼んだ。いちばんの心配はパソコン関係の接続と新しいパソコンの初期設定だったので、それはやりますと請け合ってもらった。他の電気製品もM電気屋に購入をお願いした。(ちょうど春の引っ越しシーズンにあわせて大売り出しをしていたのか、すべての製品を納入してもらったあと、キャンペーン中だったので、若い社員が接続関係をしに足を運んできたときに、お菓子類がはいったものを持参していた。ありがたく頂いておいた。)お菓子類が入った器は、ちっちゃい《ゴミ箱になりそうなもの》で、仕事部屋で使うのにちょうどよかったので、重宝している)
このM電気屋の社員は、今回が初顔合わせだった。これまでにも何度か他の社員が足を運んでくれる機会があったが、彼は初めての社員だった。はじめ、ちょっととっつきにくい人だなという印象だった。が、何度か来宅して、作業にあたってもらううちに、印象がすこしずつ変わっていった。(やや日下手で、押しがあまりきかない人だったが、すこし恥ずかしがり屋だが、案外いい人なんだろうなと)。雨の日にも出張してもらい、忘れ物があると、雨の中すぐに取りに戻る気の利かせ方も、なかなか好感をいだかせた。
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いよいよ、引っ越し当日だ。かゆいところに手が届く、主婦感覚で業績を伸ばしてきたということで知られている業者なので、どんな仕事ぶりかと自分も作業に加わりながら観察していた。
業者は二日にわたって来るという。まず初日は、年配の女性二人。二人は二手に分かれ、Aさんは主に台所をはじめ日常生活に使ってきたモノ、Bさんは主に本箱から本や紙資料をとりだし、箱詰めしていく。この作業分担をみて、Aさんがベテラン、Bさんが助手といったコンビだった。Aさんは炊事場の下、横あたりのホコリをかぶった物の整理・梱包を手掛けている。時折依頼主である私に「お客さ―ん」と私をよぶ。ハイハイと声の方に近づき、「こうしてください」とあらためて指示をする。それが何度かつづいていく。片やBさんは、ホコリだらけの本や書類をつぎつぎ箱につめていく。ダンボール箱に、何が入っているかマジックで書いていく。特に割れ物かどうか記入を忘れないようにする。それにしても、依頼者の私が事前にやっておかないといけないことも、お二人は苦情ひとつ口に出さず作業をどしどし進めていく。押入れの中だけでなく、戸袋に入っていた、長年出していなかったモノも、忘れず梱包していく。台所にあった冷蔵庫を先にゴミ回収業者に処理してもらっていたので、「生もの」の扱いに神経がとがる。発泡ステロールをスーバーで調達していたので、それが生もの入れとして役立った。(が、発泡ステロールをそのまま段ボール箱に入れたので…)
しかし、翌日の運搬を担当する若い社員3人が75箱におよぶ荷物を、急な階段を駆け上りどしどしと新しい部屋に運び込む、それがあとになって「生もの」が積み上げた段ボール箱の中に埋もれてしまい、どこに埋もれてしまっているのか引っ越し当日には発見できなかった_新しい冷蔵庫は届いているのに、入れる物が見つからない。仕方ない。本社に電話を入れた。翌日ベテラン風のふたりの社員がやってきた。玄関の部屋に積み上げられた段ボール箱を移動させ、しばらく作業がつづき、とうとう生ものが入った箱を探り当てた。他にもすぐに必要なものがあるが、腐る物ではないので、一日二日を急ぐわけではない。
電気屋の社員は運搬が終わったあとにやってきて、パソコン関係の接続を終えると、古いパソコンを買い替えることを熱心に進めた。いまキャンペーンをしているうちにと私を急がせ、いよいよキャンペーン最終日には電話までかけてきた。あらたに買い替える決心がつかなかった私は、その電話を跳ね返すことはできなかった。引っ越しにかかわる費用はそれまでに相当額にのぼっている。そのうえ10万円台はするパソコンを買い替えるには相当決心がいる。それにしても、数十万円は見事に消えていた。「引っ越し貧乏」とは、よく言ったもの。が、人生最後の引っ越しには、それだけの支出は覚悟しなくてはいけない。金目で処理できることはいい、自分の時間を割いてかけつけてもらった何人かの人たちの存在が、この「難事業」を支えてくれたのだ。
感謝しかない。20年間住んだ場と今回の場とでは、同じ淡路であってもちがう点がある。なにより「銭湯」が近くにあり、歩いて通えることが最大メリットだ。月2回の「敬老の日」の割引もうれしい。
あと、最低10年、80の坂を元気にのぼっていく拠点が誕生したことはめでたい。 (一応 完)
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