お問い合わせをお待ちしております
TEL. 00-0000-0000
営業時間 AM10:00 ~ PM20:00
コラム コロナ禍に想う
◆和田秀樹著『マスクを外す日のために』を通して
日本社会のおかしさを考える
~お上のいうことに従順な『国民性」を打ち破り自立した人間に~
ゆうべ(7月3日)遅く徳之島から戻ってきた。今回の徳之島行きは、5月中旬に引き続いてのことだつた。
なぜ1カ月あまりで出かけることにしたのか? いちばんの理由は、3年ぶりの「トライアスロンin徳之島」の観戦のためだ。なにもかも「お上」の中止要請に従っている日本社会のありようを、ここいらで立ちどまって、従来通りに行事、公演その他を実施に踏み切るためのその第一歩をこの「トライアスロン大会」で踏み出したいということだった。むろん、実施かどうかは主催側の決断によるが、人生の半分近く徳之島に入れ込んでいる私としては、これをおおきな機縁に、これまでの日本社会を蔽っている「お上のいうことには従順に従う」のでなく、市民一人一人の「基本的人権」が容赦なく侵害されてきていることに警鐘を鳴らし、それだけでなく「あなたはいつマスクを外しますか」と問いを投げかけて行きたいという思いがある。
まずは、自分ひとりからやれることをしよう! そう心決めして伊丹空港に急いだのだった(6月28日)。
○
座席はほぼ満員だった。指定の座席に座った。そのまえにゲートをくぐる時、「あっ、マスク」と係の女性が言った。が、すぐに「機内では…」と後の係に判断をゆだねた。そうして、私は機内の人になった。
天候は快晴とまではいかないが、飛行機が飛び立つには問題がない天候だった。通路側に席があり、客室乗務員がひんばんに行き来し、「あっ、お客様、マスクを…」と何度も催促にきた。全員がマスク着用しなければ飛行機は飛び立てないという「きまり」(社規)でもあるのか、いぶかしく思いながら、入れ代わり立ち代わりやってくる客室乗務員に「早く出発させなさいよ」と、催促を繰り返した。「お客様、マスクすると胸が苦しいとか…」と聞く。「はい、苦しくなりますよ」「それなら…」と乗務員は遺巡している。が、あくまで全員がマスク着用しないと飛行機は飛び立てないという「社規」があるのかと思ってみたが、そうも言わない。
とうとう乗務員は私と同じ列の客に「席は変わられますか?」と尋ねる。「いえ、いいです」と全員席の移動には応じない。すべて静かな対応である。・・・すると機長という男がマイクで「お~人マスクをされない方がいるため、出発が遅れましたことお詫びいたします」とアナウンスするではないか。だれも私のことなどにかまっている様子はないのに、勝手なアナウンスを三度も機長はした。
機内は静かな雰囲気で推移した。誰一人客で文句を言う人はいなかった。が、さすがに「鹿児島空港で次の旅先へ乗り換える乗客がいる(拙者もその一人だが)」そのことを考慮すると、これ以上時間を引き延ばせないと思って、私はやむをえずマスクをつけるマネをした。すると、客室乗務員は所定の席に戻り、機長は飛行機を飛び立たせた。・・。これが朝の9時25分出発予定の機内でのいきさつである。
○
一機の出立がどうのこうのという問題ではない。なんでも「お上」に判断をまかせている自立心のない国民に対し、「あなたはいつマスクを外しますか?また政府がこういう状態になれば外してよろしいというまで付け続けるのですか?」という問いかけなのである。小学生などが熱中症で倒れている現実をどう考えるのか?
高齢者で免疫力が落ちているひとがいるにもかかわらず「マスク着用」を至上命令のように言い続けるのですか? 政府のお偉いさんが「外してよろしい」というまで付け続けるのですか?
このいきさつをごく簡単に知り合いにラインで伝えた。すると、ライン仲間は「大丈夫??」と心配げに聞いてきた。いつもは社会の動向に批判的なひとがそうなのだ。「寄らば大樹の陰」「向こう三軒両隣そうだから」「お上に逆らってもなんの得もないよ」・……こうした「同調圧力」がまかり通り、3歳の子どもにも律儀にマスクをさせる、90歳代のお年寄りにも「マスク」を強要する、このようなことを、ど`こかで断ち切らない限り、「従順な国民性」は生き延び、世の中のおかしなことがいくらあっても「異を唱えない」ことになるのだ。
○
と、島から疲れて戻ってきた私の日に飛び込んできた紙面がある。島に出立した日(6月28日)の毎日新聞朝刊「オピユオン欄」に載っていた「そこが聞きたい~新型コロナの『収束』」長崎大学山本太郎教授の論考だ。山本氏は著者紹介によれば、「1964年広島県生まれ、長崎大卒。京都大学医学研究科助教授などを務め、アフリカやハイチで、エイズウイルスの母子感染予防など感染症対策に取り組む。2007年から現職」とある。
ということは、私が長崎大を訪ねたころには、大学におられたのだ。別の目的で別の教授に会いに行ったのだから、山本氏に会ったわけではないが、なんとなく懐かしさがでてきた。それはともかく、本論はどうか?
聞き手の渡辺諒記者のリード文はこうだ。 《N02》
―一新型コロナウイルスの流行は「収束」に近づいている。山本太郎教授(国際保健学)は現状をこう分析する。世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界的大流行)を表明して2年あまり。国内ではまだ1万人以上の感染が確認される日が続く一方で、山本さんが言う「収東」の意味とは。――
@新型コロナは今、どのような状況にありますか。
A新しい感染症を引き起こすウイルスは、基本的に野生動物からヒトの社会に入り込み、その一部はパンデミッタを起こす。その後、ヒトが集団として免疫を獲得することで社会にウイルスが定着し、ありふれた感染症の一つになる。/新型コロナは今、社会に定着しつつある段階だ。フクチンの接種が進んだり、感染者がかなり多かったりした国では集団免疫ができ、医療崩壊が起きなくなっている。我々はウイルスやそれによって引き起こされる病気を排除の対象ではなく、「社会に存在するもの」として認識するプロセスに入りつつある。
そう認識するようになることが「収東」なのだと思う。コロナがヒトにとって特殊な病気から一般的な病気になる過程にある。(下線強調~下橋・シモ)[なんと明快な答えであろうと、感じ入るのだ。こういう回答を読むと、なぜこうした認識をもっと多くの方が語ってこなかったのか、不思議なくらいだ。毎日毎日県別の感染者人数を報道し、恐れを抱かせることばかりやってきたのが政府であり、マスコミなのだ。「いつ収束するのか、どういった社会の状況になれば「収束」と言えるのか」そうしたことを、山本氏くらい明瞭に語った発言を、少なくとも私はこれまで知らない。
もしこのような山本さんのような認識が日本社会にもっと広がれば、「ソーシャルディスタンス」とか、「再びパンデミックに陥らぬために」といった脅しともいえるような押しつけは姿を消すはずなのに。コロナ禍と言い始めてはやくも2年半余りがたつ。それなのに《自粛、自粛》しか言わない。それによって、どれほどの人権侵害が事実上起こっていても、素知らぬ顔して「補償金をだすからいいだろう。おとなしくしておけ」という乱暴な世論づくりに邁進しているのが、今日の政府。自治体だ。]
@(ここで記者は「根絶は無理だということでしょうか」と山本氏に問うている。[この問いかけは、果たして正しいだろうか―シモ]
A(2年前とは、今はあきらかに違うのだ、と前提して、山本氏は次のように言う)どんな感染症か分からない状況では規制は必要だった。・…初期の対応は厳しく取りつつ、どこかで共存することを考えた対応に、少しずつシフトしていくということだ。
@(ここで記者は、さらに「初期対応ではどんな課題があったと思いますか」と聞いている。)
A日本の場合、他の国と比べて明らかに死亡者数が少なく、初期の対策は成功したと考える。/しかし、学校の体校によって子どもの発育に影響する負の面があったことも否めない。・…高齢者施設でかなりの人が亡くなったが、若い人の生活を守るという発想だ。どちらが良かったのか、答えが出ない問題だ。
[私がいちばん問題としているのは、「学校の体校によって子どもの発育に影響する負の面があった」点だ。
元首相の安倍晋三は、「全国一斉学校休校」を命じた。いくら国の責任者といえど、そうした強権発動は、よほど慎重にやらないと、あとあと地方自治の下にある教育委員会や学校の責任者である校長がどれほど後始末に追われるか、エライ人はまったく解っていないのだ。同じことが大阪市の場合に起こった。松井市長が、小中学校児童生徒全員にタブレット学習をするようにと、現場の校長や教育委員会との事前の相談なしに、一方的に現場に押しつけたのだ。これを教育権の侵害だといわずになんと言えばよいのか?]
@(記者は間う。「新型コロナは今後、一般的な風邪のウイルスになっていくということでしょうか。」
Aそう考えている。例えば、10年、20年後のもう一世代後を考えると、ほとんどが乳幼児期に新型コロナに感染して免疫を得るだろう。ウイルスは変異するので、この免疫は完全には効かないが、部分的に作用して重症化を抑える。成長過程で感染を繰り返し、大人となって感染しでもあまり重症化しない病気なると思う。
(ただし、ワクチンや薬が効きにくく、致死率高くて感染力も強い変異株が出てきたら、それは新しい病原体による新型感染症として捉えるべきだ。…この2年間の教訓を生かしながら対応すべきですが。
@(新型コロナは野生のモウモリ由来と言われます。人獣共通感染症は人類の宿命なのでしようか。)
Aヒトが自然の一部である限り、新たな感染症がなくなることはない。しかし近年、頻発しているのは、開発や熱帯雨林の消失。気候変動といった人間の行為に依存した現象だ。私は「ウイルスとの共存」という言葉を使うが、これはヒトもウイルスも野生動物も、同じところでごった煮のように生存しているというイメージではなく、お互いの領域や生態基盤を尊重し、距離感を保つという意味だ。
[この最後のフレーズにある「お互いの領域や生態基盤を尊重し…」というところが大事だ。今回のコロナ騒ぎも、実際はヒトが熱帯雨林を乱伐し、コロナを呼び起こした結果なのだと言えるだろう。]
以上のやりとりを通して記者は、「自粛生活を元に戻し始める時期が来つつあると思う」と述べ、一方で、このウイルスには分かっていないことが多いとの指摘もある。状況の変化に合わせた対応を取る、そんな心構えがいると思う」と結んでいる。
さて、その「状況の変化に合わせた対応を取る…心構え」というが、それはどんな心構えだろうか?
そのことを考えるためにも、この間の「自粛生活」がどのようなものであったかをしっかり振り返ってみなくてはいけない。ここで、和田秀樹さんの近著『マスクを外す日のために』を、再度開いてみることにしたい。
和田さんは、この新書の「はじめに」で、次のようにその意図を語っている。
==「マスクをすることが当たり前の世の中」は、できることなら、1日でも早く終わらせたほうがいいのです。・…依然、この国では、マスクに象徴される「自粛生活」が続いています。/私は、マスク以外のさまざまな「自粛要請」、そして「自粛生活」にも、メリットとデメリットがあり、 トータルで考えると、かなり前からデメリットのほうが大きくなりはじめているとみています。/自粛生活は、私たちからじつに多くのものを奪い取ります。それらが積み重なって、私たちのウイルスに対抗する力、「免疫力」は低下しているのです。
そして、自粛生活は、私たちの体だけでなく、脳や心にも悪影響を及ぼします。自由に暮らせないストレスや同調圧力が、私たちの脳と心を衰えさせるのです。/私は今、そうした「自粛禍」をもたらすような政策や方針を抜本的に見直す時期に至っていると思います。そして、近い将来、多くの日本人がマスクを外せる日がやってくることを念願しています。/私は、この2年余りの間、新型コロナとそれに伴う自粛生活が、私たち日本人の体と脳にどのような影響を及ぼすか、目を凝らし、観察してきました。本書はその観察記録であり、私なりの処方箋でもあります。(中略)私は新型コロナ最大の副作用は、「自由を奪うこと」だと思います。
自粛状態が長期化すればするほど、人生を自由に楽しめる期間は日一日と短くなっています。
しばし、本書を座右に置いていただき、コロナ以前の自分の生き方や夢を取り戻すためには、どうすればいいのか、しばし沈思していただけければと思うのです。==(2022年5月)
和田さんの切実な問題意識を、私たちは今や真剣にうけとめていかなくてはいけない。この新著の目次を追うだけで、和田さんが提起されている重要点を抑えることができます。
まず、第一章。
*マスクの最大のデメリットは「人の表情が読めなくなる」こと
*自粛生活の最大の被害者は?――それは子どもたちです
*コロナウイルスと高齢化が、日本人の脳を委縮させている(一つとばして)
*政府にも自治体にも、「コロナ禍脳」の症状が現れている……おさらいのつもりで、政府や自治体が言ってきた「自粛内容」をぶり返ってみよう。
・不要不急の外出は自粛し、混雑している場所や時間を避けて行動すること
・営業時間の変更を要請した時間以降、飲食店等にみだりに出入りしないこと 《N04》
・不要不急の都道府県間の移動は、自粛すること
(以上、2022年2月10日付けの「新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置」による)
要するに、「街に出るな」「繁華行に行〈な」「遅くまで飲むな」「(県を跨ぐような)旅行はするな」と。
居洒屋や商店、ライブ′ヽウス、映画館などなど、人の集まりそうな場所は開けるな!とお達しがでたのだ。
収益が大幅に落ちた店などには「補償金を払うから黙って従え」という上からのお達しである。
この上からのお達しに、日本人は「弱い」のだ。見事に統制が取れていると、海外の国々から称賛されていると、お国や自治体のお偉方は、さぞ仕事をしていて、コロナ対策を万全にやっているかのように振る舞う。
和田氏は、日本では、「三年一日」の如く、このような自粛策が繰り返されてきました。コロナウイルスは変異し続けているのですが、その対策は前例が踏襲され、変化しないのです。
ここで和田氏は、「はっきりいっておきましょう」と前置きし、
《今のコロナは「ただの風邪」です。2020年の初め、私も医師として「これは、大変なことになった」と戦慄を覚えました。感染力、致死性ともに高いウイルスが出現したのではないかと身構えたのです。
しかし、幸い、それは杞憂に終わったようです。その後、新型コロナも、過去の多数のウイルスが歩んだ道をたどりはじめています。 弱毒化です。
ウイルスにとって、生存に最も有効な戦略は、「感染しやすいものの、宿主に大きな害を与えない」方向に、変異することです。/ウイルスの目的は、宿主を殺すことではありません。下手に毒性を高めて宿主を殺してしまうと、ウイルス自身も消滅することになるからです、と。
和田氏は、「誰も言わない、《自粛》の副作用とは」で、風邪とインフルエンザの死者数とコロナによる死者数を比べたあと、政府の「自粛策」は、明らかに過剰で、不適切な政策だと、ご自分の考えを展開している。
そこでは、「自粛禍」は新型コロナヘの感染以上に「人の命を奪っている」とさえ思っていると。その理由を和国氏は次のように述べている。
==現在の自粛策は「万病の元」であり、「自粛禍」は、新型コロナヘの感染以上に「人の命を奪っている」
とさえ思っています。その理由は、以下の通り。
私たちは、自粛生活のなか、多くの「自由」を失っています。
*友人・知人と自由に食事することがはばかられ、彼らとの会話さえ不自由です。
*外で自由に運動することも気が引けて、買い物も不自由です。子どもを外で自由に遊ばせることができないし、実家に自由に帰省することもできず、老親にもなかなか会えません。
*コンサートや映画、スポーツ観戦に出かけることにも、制限がかけられることが多くなっている。
というように、自粛は、私たちから何事も自由だったコロナ禍以前の日常を奪い取っています。そのことが、人命を奪うことにつながるのです。
その犠牲になる人の多くは、高齢者です。高齢者は外出を控え、自宅に数力月ひきこもるだけで、歩行機能が弱まり、自立歩行さえおぼつかなくなります。また、人と話さない暮らしが続くと、認知機能が衰えます。
そのような足腰、認知機能が衰える症状を「フレイレ」と呼びます。フレイレは「虚弱」という意味で、正常と要介護の間のような状態を指します。いったん、フレイレに陥っても、適度に運動したりすれば、元の状態に戻ることができるのですが、自粛生活のなかでは、それもままなりません。
外出しないことで、運動不足になり、筋力が衰えて転倒、骨折、要介護状態になったという人を、私はこの2年余りの間、多数見聞きしてきました。高齢者の自粛生活は、要介護状態への最短ルートとなるのです。
・・・持病を悪化させる人も少なくありません。
今、日本の要介護高齢者は、要支援を合めて約700万人です。私は、自粛生活が続けば、今後数年のうちに、さらに200万人は増加することになるでしょう。すると、要介護費用は年間4兆円増えます。むろん、死者も急増します。
(ここからの和田氏の指摘が重要)しかし、テレビを含めたメディアは、そうした自粛禍について、まったくといっていいほど、報じません。今、テレビに専門家として出演するのは、感染症の専門家ばかりです。彼らは「外出を避け、ワクチンを摂取しろ」とはいっても、フレイレや要介護予防については何も語りません。
いや、その分野は専門外で知識がないので、語ることができないのです。そうして、自粛禍の深刻な「副作用」について、国民はほとんど知らされることがないまま、2年以上の日々が経過したのです。
自粛生活には、他にも「死因」となる副作用があります。「うつ病」が広がることです。(略)その数は、自粛による引きこもり生活の影響で、数十万人単位で増えることは確実だと思います。
私は、「うつ病」は、自粛禍のもたらす最大限の副作用だと思っています。なぜなら、うつ病は「自殺をふ増やす病気」だからです。自粛生活は、うつ病の誘因になり、結果的に死者数を増やすのです。==
長く引用させてもらってきたが、和田氏が挙げている数々の実情は、もし放置されたら大変なことです。
こうしたことにならないためには、何が必要か。まず、私は「外出」を積極的にすることだと、強く言いたい。下橋は、和田さんが危惧しているフレイレにかかる心配はないのだ。何となれば、出かけたい時には出かけ、出かける必要があれば、いつでも出かけているから。それに、免疫力を上げるような栄養ある食品やサプリメントを毎日摂取しているから。映画館に足を運び、音楽のためライブノ`ウスにも通い、街に出てひとと会い、行きつけの喫茶店に出かけて本を読み、知り合いと笑顔で談話する。多い時には「1目6000歩」歩く。
朝起きたら太陽に当たる。2日に1度は洗濯し、清潔を心がける。夜は10時半には就寝。6時前後には起床。
こうした生活習慣こそが、コロナ禍にあっても「健康」を保つ秘訣だと信じて実行している。
それに何より、《毎日することがある》これが大きい。朝方新間に目を向け、投稿欄にチェックをいれ、これぞというのをワープロで書き写し、かならずこれまでの自分の人生に照らしてコメントを付ける。これは、日課としてやり続けている。時に数編の印刷物ができると、知り合いにまとめて送る。一方通行でも構わない。
何より、人と会い、手渡すことで、反応をうかがえる。たまに葉書をいただく。会いたい人に手紙で伝え、会えなくても、自分の関心事をつたえ、反応をみる。時にニカ所生活の場である「徳之島」に出かける。親戚筋や、知り合いの方に話し込みに行く。今だって「知り合う」ひとが増えている。
これが82歳(9月末で83歳に)の日課であり、モットーであり、生活習慣であり、家飲みも体肝日を設け、無茶をしない、節度ある飲み方をする。
和田氏は、アルコール依存症になるリスクとして「家飲み」を指摘しているが、居酒屋の営業自粛が、依存症を増やしていることにも触れている。
《アルコールを提供する飲食店に、営業自粛を課すのは、愚策中に愚策》と言い、「リスクは高く、費用対効果は悪い対策というほかありません」「そもそも、飲食店の営業自粛がはじまって3年日になるのに、依然外飲みの制限と感染症の減少を実証するデータは存在しませんと。
先の下橋の日常に付け加え、文章を書くためには、「本読み」は欠かせない。丸善ジュンク堂にでかけ、本のまとめ買いをする。それを1冊1冊征服していく。大事な読み物は、かならず印付けをしながら読む。本は一冊ぜんぶ読まなくてもよい。適当に自分で「ここは読む」と決めたところを読めば、それで1冊読んだことにする。こういう「読み方」が多読につながるのだ。
それに「絵本」が社会的にリタイアしたひとにどれだけ有用かも、世間ではもっと重要視した方が良い。
○
コロナ禍が3年目に入って、そのマイナス面が見えやすくなっているにもかかわらず、テレビやマスコミなどを統制している政府の愚民政策が功を奏し、国民が《基本的人権》を侵害されているのに、いまだに月の前で行われている政治に疑間を感じない、本当の実態が見えないのかとつよく感じてしまう。
和田氏は、先から引用している著で、さらに重要な点に踏み込んで綴っていく。
==私(和田氏)は、新型コロナは、「日本国憲法のストレステスト」だとも思っています。
日本国憲法は、さまざまな自由を保障しています。たとえば現在、事実上の制限がかけられている集会、居住、移転の自由は、第21条と第22条によって保障されています。「営業の自由」は、それを保障する明文はないものの、職業選択の自由を保障する第22条1項によって保障されているというのが、大方の憲法解釈です。/だから、政府も自治体も、国民の移動や店舗の営業を直接的に禁止することはできません。憲法違反になるからです。だから、政府などは、自粛を「要請」するのです。/それでも、現在のように、実質的な制限になっていれば、私(和田氏)は立派な憲法違反だと考えています。/その一方で、私は、移転の自由や営業の自由という基本的人権がおかされているのに、それに国民が異議を唱えないことにも、疑間を抱かぎるをえません。私は、コロナ禍を日本国憲法に対する一種のストレステストと考え、自由や基本的人権の重みについて、再考してみる必要があると思うのです。/そして、この2年余り、移動の自由や営業の自由といった基本的人権が実質的に阻害されているのもかかわらず、行政の要請に従順に従う状況が続いています。香港やウイグル、ウクライナなどの人権状況は心配するのに、自分たちの人権に無関心な光景は。私の目には奇怪にさえ映ヴます。/私自身は。この程度の感染症で、私権を大きく制限するのは、近代憲法をもつ国としていかがなものか、と。少なくとも、「どの程度の死亡率なら、どの程度基本的人権に制限を加えてもいいのか」―一そのことをきちんと議論するべきだと考えています。そして、コロナ下でも基本的人権を守れる国に「変われる」ことを願っているのです。==
長く引用してきたが、コロナ禍における日本社会の「基本的人権」の現状と、その現状に疑間を持たない多くの国民・市民の「寄らば大樹の陰」といった、多数派についておけば安心という「国民性」、というより「自分自身で考え、判断する自立した人間を目指すという基本的に大人である条件にあてはまらぬ人間のなんと多いことか、あきれるのだ。それくらい「同調圧力」が強い社会なのか。多数派に属していないと不安だ、そういう寄りかかった軟弱な人間ばかりを育ててきたのか、そこを突き止めていかなくてはならない。
○
この「同調圧力」の強い社会にあって、始めの和田氏の「マスクを外す日」の提起にどう応えていくか、私なりの一つの「実験」をここで記述してみたい。
ごく最近のことだ。5月中旬に徳之島に出かけた。昨年来、ながく出かけることをしていなかったため、なんしても顔をだし、親戚回りをし、島の要人に会う、学校・教育委員会まわり、知り合いを訪ねる、いくらでも用はあった。特にトライアスロンin徳之島の立役者、天城町元町長の寿洋一郎さんには、顔合わせもふくめ、話もしておくことが、人事な要件でもあった。また、ユイの館(天城町民俗資料館)館長の吉岡さんに懇意にしていただいていることで、もっと突っ込んだ話をしておきたい。また、伊仙町の大久保町長との話の行き違いを調整して、教職員研修に切り替える話も進めておきたい等々、短い日数でもやることは山ほどある。
6月28日、早朝起床で伊丹空港に急いだ。8時台の空港フロント付近はすいていた。航空券の手続きを済ませ、重い荷物をカウンターにあずけ、鹿児島空港行きのグートに歩いていった。
結構待ち時間はあった。が、ようやく搭乗の手続きが始まった。順番を待ち、ようやく機上の人になる。
その前に「係の方」が「マスクを…」と言いかけたが、そのまま機中に乗り込んだ。指定された席に着き、ベルトを締めた。横をみると、一列全員が座っている。わずかの間があって、客室乗務員(3名)の一人が拙者の席にやってきた。「あのマスクを…」と声がかかる。沈黙。「マスクを…」沈黙ののち、客室乗務員が入れ替わりまたやってきて同じことを言う。「そんなことより、早く出発させたら」という。また別の客室乗務員がきて「マスクを…」という。同じことを言う。次に現れた客室乗務員が「胸が苦しいとか…」というので、「苦しいですね」・…こうしたやりとりがあって、私は(全員がマスクをしないと飛び立てないという法でもあるのか?)「そんなことより、早く飛行機を出発させたら…」「いえ、なんだったら、他の方、後ろに席がありますから、替わられますか?」と客室乗務員。一人ひとりに尋ねていくが「いいえ」と全員答える。依然として拙者はマスクをしない。「全員がマスクをしないと出立できないとでもいう規定があるのか?」そんな疑間を抱いていたら、今度は機長がマイクで「マスクをしていただけない乗客がいて、出発が遅れました」と、ご丁寧に二度もアナウンスした。もし、そういうなら、「一人でもマスクをしていな方がいたら、当社の飛行機は出発させない」という規定があるなら見せてくださいと言いたい。たぶんそんな規定などないのだ。政府が言っているから、当局からお達しがあるから、そういうあいまないことで、もし感染者がでたら当社の責任になる。そう言われないか」そんな利害関係で動いているのが、日本航空の実際なんだろう。
最後に拙者が「マスク」を付けたのは、鹿児島空港から離島などに乗り継ぐ乗客がいて、乗継便に乗り遅れては困る、そういう判断が拙者にあったからだ。最後の最後に拙者が妥協したのは、そういう判断からだ。
本来なら、航空会社が「乗り継ぎの方がいるから、出発させる」という判断をさっさとするのが当たり前だ。
それなのに、乗客に詰め腹を切らすやり方は、本来間違いなのだ。
それにしても、座席の1列の3人の方に座席を替えるかどうか聞いて確かめるというのは、ある意味「踏み絵」を踏ませているみたいなものだ。あるいは、マスクをしない「たった一人の乗客」である拙者への嫌らせか?そんな意地の悪いことも考えたくなる。
さて、鹿児島空港に着陸し、徳之島行きに乗り換えるため、ごく短時間待ち時間があった。が、すぐに案内があり、地上の徒歩で航空機まで歩いて行った。その時、徳之島行きが遅れたら、遠方から迎えに来ている方もあるだろうと考えたが、「マスクを外す」実験はいちおう目的を達したので、離島行きのコミューターではマスクをした。
いちばん痛感したのは、「マスクをしないと飛び立たない」などという規定はないのだ。あるなら、そのようにアナウンスしたはずだ。ただ「マスクをされない乗客がいて、出発できなかった」といっただけに過ぎないのだ。冒頭近くでも引用したが、「コロナは、今や収束の時点にきているりだからマスクを必ずしなくてはいけないというものではない」そういう点からすると、航空会社も世間体を気にし、「日本航空は、マスクをしない乗客がいても、飛行機を飛ばした」と言われないか、そういった同調圧力を勝手に感じて、先に描写したように、「一人でもマスクをしていないなら出立してはならない」と、社内でかたくなに取り決めているとしか考えられない。
徳之島行きのコミューターには、早くもトライアスロン大会に選手などで参加される方が同乗されているようだった。まだ台風情報もなく、熱い空港のタラップを降り、待合室に歩いた。レンタカーの手続きをし、わが家に車を走らせた。
○
再度、ここで「マスクを外す日のために」という和田氏の問題提起に戻る。今朝の毎日新聞《地域ワイド》欄に、「なお10万人近い自宅療養者」という大きな見出しが躍っていた。サブタイトルに「新規感染者増えた地域も」と。縦見出しでは「専門家《防止策継続を》」とある。あいかわらず、「まだまだ油断なりませんぞ」といった論調だ。が、すぐ左の記事の中身を見てみると、次のように書かれてある。
一―新型コロナウイルス感染防止のためのマスクについて政府は5月、状況によっては必要ないとの見解を示した。マスクの要否を各自が判断する場面は今後増えそう。一一
今年5月に「状況によっては必要ないとの見解を示した」とあるが、いつどんな形でそのようなことを国民に周知したというのか。今は7月5日という時点だ。「2メートル離れていたら、しなくていい」とか、小賢しいことを言っていたのは、政府のエライ人、岸田首相であるぞ。それを、5月には「政府はそういってました」などと、今さらながら言うのか?|しかも、その記事の以下を読むと、「網目より小さな粒子も捕集」という耳慣れない熟語が出てくる。「捕集?」なんやそれ、次に「慶応教授 不織布マスク性能実験」などとある。
「今さらなんのこっちや?」と目を蔽いたくなる。
ところが、その右下には、日医理事「距離あればマスク不要」との見解を今さらながら述べているのだ。「何を言うのか川端やなぎ」例の「2傷云々」を繰り返し、「外している人を見ると不安を感じる方も少なくないが、国の整理は医学的にも適切、妥当」と、ちょうちん持ちをしているのは、日本医師会の釜なんやら常任理事とかいう人だ。今さら何をいうのか?あきれる。
7月3日は、雨中のトライアスロン大会となった。すでに主催者の方は、「3年ぶりのトライアスロン大会を中止することはできない。距離を短くし、スイムも再考して」と、なったのだろう。町内放送では、「実施します」とアナウンスされていた。あとできけば、「スイム取りやめ、ランとバイクは距離を縮め、天城町内のみのコースで」となったという。台風接近の報がある中では、IEしい決断だっただろう。 《N08》
通常ならスイムは、与名間ビーチで行われ、その後にバイクがあり、最後にランがくる。3年前、拙者は第12エードで、バイクの選手にスポンジを手渡し、汗を取るのに少しは役立ったかなと思われた。選手が使ったあと、投げ捨てるのを、さっとひらって「水一杯のバケツの水」で泥を洗い落とし、また次にくる選手に手渡すというやり方でお役に立てていたのだ。向かいのテントでは、飲みものや食べ物を選手に提供し、またお手伝いの子どもらに振る舞っていた。が、今回は縮小されたためか、エイドには行かず、家の門口に立ち、手を叩き声援を送って選手を励ます。ご近所の方(親戚のみなさんも)も2,3人で応援している。拙者も、斜めくらいの位置で、手を叩き、声を出して声援を送り続けた。雨は弱まったり、また強くなったりだが、選手はつぎつぎと顔をゆがめる人あり、さっそうと走っていく人ありと、さまざまだ。中には私たち沿道の声援に手を挙げ、「ありがとうございます」と声に出して言う選手の方もいた。
一昨日喫茶店で出会った沖縄から来られた選手の方のゼッケン番号を聞いていなかったことが悔やまれた。
一度だけ、服を着替えに家に入り、また門日に立って応援した。「四つ角」で集落(シマ)の係の方が座って用事をしていた。人影は見えないが、露路から声援の声が聞こえていた。
トライアスコン大会終了をうけて、先日お会いした「営銘伸吾さん」にメールを入れたのに、返信がすぐにあった。完走した旨書かれていた。3人のうちの年配の男性は大事を取って出場せず、年配の女性の「宮里なおみ」さんも、完走されたとのこと。アローヨ(姓)ラモン・アレックスさんは欠場。
前回大会でも東京から来られた選手の方とも交流したが、今回も偶然の出会いで、よい交流ができた。
○
マスク着用、外出制限、居酒屋などの店舗の時間制限…などの「お願い」調により、「憲法違反ではない」と政府。自治体は、言い逃れてきた。が、それでも戦前の向こう三軒両隣の相互監視のやり方は、今回の「コロナ禍」で同じように効力を発揮した。すなわち、さまざまな「警察組織」の登場だ。
「マスク警察」「帰省警察」「ワクチン接種警察」総称して《自粛警察》の登場である。格差拡大、賃金上昇が見込めない、店の営業不振等々、しわ寄せされたひとの不満が世の中に充満し、それが《自粛警察》を発生させた。和田氏は先の著で、「偏った正義感」と「相手を論破したい」願望というように規定していたが、気がつけば「自殺者」の増加が日立つようになった。それも、女性と子供の自殺が増えたと数字を挙げて言われた。
長引く「自粛生活」は、今後もそうした自殺者を生み出すかもしれない。前途に悲観し、社会から孤立し、話し相手もいず、家族で入院しても「面会」もかなわず、家族で亡くなるひとがあっても、表向きの「葬儀」も行えない。そうした憤憑が世の中に充満していくことが予見される。
先から著書を何度も引用させていただいてきた和田秀樹さんは、「頭にきたときは(人前を避けて)マスクを夕ヽそう」と提言している。
今の日本社会は、だれからも強制されなくても「同調圧力」で、締め付けられていく社会になってしまっている。だから、「イライラした時は、人から離れてマスクを外そう」という和田氏の提言は、やはり有効なのだ。「友好」な関係を築くためにも、マスクを外すことによリイライラを解消していこう。
そのためにも「生活習慣」を築き、人と接し、通度な外出をし、祖父母とも孫たちとも会って楽しむ、そういった当たり前の「日常」を、早く回復していくことを、最後に私は声を大にして言っておきたい。
2022年7月4日(月)起筆 脱稿7月5日 書き手:しもはしくにひこ
お問い合わせはコチラへ!
電話: 090-5256-6677
E-mail:sonen1939@s4.dion.ne.jp
ご不明な点がございましたら、まずはお気軽にご相談下さい。



